私のハゲ履歴書

天使のようなほほ笑みとともに生まれてきた私は、髪の毛はサラサラストレートでした。

しかし幼少期は坊ちゃん刈りでありまして、天使というより、おぼっちゃまくんみたいでした。

何故か高校生のころに髪質が変わってきまして、天然パーマになってきました。柔らかいウェーブです。

そこらのワルガキの所属する中学校ならイジメの対象になったかもしれませんが、お行儀のいい頭の良い生徒の集まる進学校でしたので、いじめられるということもなく、自分では、かっちょいい! と思っておりました。

中学時代にウェイブになっていたと思うと、ゾッとします。(中学は悪ガキの巣窟でした。)

大学生になると、所属クラブの規定により、角刈りに。

パーマで猫毛の私はうまく角刈りにならず、しかたがないので坊主にしておりました。規定により、坊主はOKだったのです。

ただし、坊主というのは、クラブ活動中に粗相があったり、気合が足りないと認定されたり、腕立て伏せ300回の途中で潰れたりした時の罰則規定でもありましたもので、私は年中粗相をしているというあらぬ誤解を受けまして、肩身が狭かったです。

ちなみに少林寺拳法部でした。少林寺なんだから、角刈りじゃなくて、みんな坊主にせい! と実は憤慨しておりました。

クラブも幹部になりますと、角刈りからパンチパーマになるのですが、当時の社会情勢というか、学生が軟弱化していく過程でありまして、私のひとつ上の代くらいから、就職活動で白い目で見られない程度の髪型になってきておりました。

で、私も幹部になり、晴れて長髪に。

長髪っていっても、ロックンローラーのロン毛じゃなくて、耳と後襟にかぶらない程度です。

今思うともっと伸ばしておけばよかったです。若い時にしかできないことはやっておくべし、と後輩たちには伝えたいです。

社会人になりますと、中古自動車販売の営業職になりまして、普通のサラリーマンカットです。クルマ屋には奇抜なヘアスタイルの者もおりますが、メーカー系のディーラーでしたので地味です。

髪の毛が少なくなってきたと指摘を受けたのは、同業者からでした。20代の後半でした。

たいして仲良くもないのにいきなり、自動車のオークション会場で、「ジブン、やばいんちゃうん?」と話しかけてきまして、大変失礼なヤツでした。

どうもネットワークビジネスにはまっていて、育毛剤を売り込みたかったようです。

人間、受け入れたくないことを指摘された時の反応は、まずは「拒絶」そして、「正当化」です。それから責任転嫁とか、いろいろ苦しんで、最終的に「受容」という段階に入ります。

私の最初の反応も当然、拒絶です。

それからは其奴に車を売るときは、2割増しでふっかけるようになりました。人のハゲを指摘すると、いろいろ損するのです。

次に指摘されたのは、散髪屋です。ヘアチェックだとかナントカ言いながら、胃カメラみたいな細い管の先っちょを、頭に押し付けて、毛根の様子をモニターに映して、嬉しそうに「将来危ない。」とかいうのです。

そして、なんだか高価な育毛剤を売りつけられました。

先のクルマ屋みたいに拒絶しなかったのは、散髪屋という権威があったからです。どうも私は権威や肩書に弱い傾向があります。

散髪屋から買わされた育毛剤は空にしましたが、あんまり効果を感じることもなく、2本目を買うことはありませんでした。

それに髪の毛にあれこれ気を使うなんて、男らしくない、と硬派の私は思っておりまして、気にするのはやめました。

気にしなければ、悪いことは起こらない! というのは嘘です。

やっぱり髪は減っていきました。

長くなるので、次回につづく!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする